天才ピアニストとの出会い

画像の人ではないです。

僕は常々、大学を辞めて後悔ばかりしています。
そんな僕が大学中退前夜にあった話をします。

【#01きっかけは父の電話】

 早春の晩のこと、僕は近所の湖が見える公園でタバコを吸っていた。
何もない自堕落な日々を大学生として過ごしていた。
友達なんていない。サークルの付き合いもない。
ポールオースターの本を片手に沢田研二を聴きながら宵の晩に物思い耽っていた。
すると、父から一本の電話。

「田中さん(仮名)が来たから、
知人宅に来れないか?」

 田中さんはピアニストで父の同僚だと聴いた。
僕はすぐに西鉄バスに飛び乗って隣町の知人宅の宴会に参加した。

【#02トルコ行進曲全移調で弾く】

 部屋は小さなコンサートホールのようなお宅でピアノがあり、僕は寿司や焼き鳥やら豪勢に振る舞われながら、知人宅でビールの酔いに浸っていた。
そこにはテーブルが置かれ、父と知人のAさん、そして名前を伺っていた田中さんがいらっしゃった。
僕は田中さんに自己紹介をすると、田中さんはこう言った。

「大学時代はピアノをしていて、8年間いたかな。そのあと、ホームレスをしたり、ビルメンテをして、今はピアニストだよ。」

///午後9時を過ぎて///

 場面は変わり、僕らが日本人文化と外国人の受容について話していた時だ。僕よりふたまわりも年上の田中さんはビールで酔っていて、その飄々としたいでたちが少しドビュッシーのピアノのように朧げになっていたころ、ふと、ピアノを弾き始めたのだ。
 ベートーヴェンかショパンか、それでも腕は確かと見た。僕は彼の演奏が終わると拍手をした。すると、「何か弾いてみるかい?」と僕を誘った。
 僕はゆっくりとトルコ行進曲を弾いた。間違いもある。ミスタッチばかり、譜面を覚えていない。完璧主義の父には笑いの対象だったが、田中さんは「いいねぇ。」と言うと、

突然、トルコ行進曲をBメジャーからAマイナー、Gメジャーと様々な移調で弾き始めたのだ。

それも速弾きだ。
感動よりも驚き、驚きよりも、好奇心が僕の心中、胸に去来した。

【#03博識と芸大ピアノ科中退】

僕は羨望の目で田中さんと机で話した。

中学時代、2012年の頃、クラスで友達とかに
「ピアノジャックいいよねぇ。」
といっても全くわかってもらえなかった。」
むしろ、
「ピアノジャック=僕」
と言われるほど、ピアノジャックが好きだったが
アンダーグラウンドで活動していた彼らを
学友は知るよしもなかった。

一方その頃、田中さんは東京にいて、
大学生だった。
「ああ、知ってるよ。ピアノジャック。
ビレッジバンガードで取り上げられてたよね。」

そのほかにも、My First StoryやSiMなどのロックバンド、アニメの話や東京の土地など、やたらとサブカル面も詳しかったが、特に印象的だったのは、その思想だった。
日本人文化と外国人の受容に戻そう。
僕は「日本語が話せれば日本人」という考えだが、田中さんは
「まず、日本人と外国人は根幹が違うと思う。言語が違うし、それに顔も違う。1番は民族的な部分じゃないかな。」
僕はそこに彼の音楽の真髄があると思った。
民族的な部分が音楽の起源と
音楽学者クルト・ザックスは言ったが、まさに
音楽の宗教的部分から民族的な独立、
ナショナリズムの前の純正な音楽の感性を
その一言で感じ取れたのだ。

【#04コネクションと芸大】

 彼は東京芸術大学ピアノ科に8年間在籍していた。その時のコネクションは父や他にも東京の楽団とそれは豊富だ。
 やはり、彼の演奏を待ち望むものも多いが、その根源の中退以後は自分探しをしていたと語ったと僕は記憶している。
 その時に僕は思った。

【#05僕は大学を辞めただけ】

当時は大学生で21歳とちやほやされていた。
もう誕生日を迎え、22歳になった。
大学も辞め、僕は就活生の身になった。
この時に本当によく沁みるのは
大学でコネクションを作っておけばよかったと
しみじみ思える。
今はただ、田中さんが弾いたトルコ行進曲も
グレン・グールドの弾いたトルコ行進曲も
ただただ、音楽性に隠れた人とのつながりを思うのである。

【#06沢山の夢があっても良いが…】

やはり、沢山の夢は必要だ。起業する、アプリ開発、技術者、弁護士、文学者、物理学者、音楽作曲、作詞、作家、世界旅行、Nintendo Switchを買う。夢を切り出したらキリがない。

ただ、その夢には人がついているか?

それが夢を叶える希望であり、具体性であり、
もっともらしい近道でもある。

もっと言えば、コネクションと堅い信条、姿勢、思想は必要だと思ったわけだ。

自分探しをして得た忍耐性の中に事物を見出し、それを音楽にした田中さんには今も憧れている。

【#finale別れ際の一言と僕の人生】

僕はふと、自分は「芸大があっているんじゃないか。」と思ったのだ。今の大学を辞めて、芸大に行って音楽をしようと思ったのだ。
すると、田中さんは宴会が終えた午前0時、別れ際にこんなことを言った。

「君は芸大よりも今を生きたほうがいい。」

僕にとっての今を生きるとは夢を叶える以前の考えの熟成だと思った次第、筆を置かせていただく。